「まさか父が!?」─ 高齢者の「うつ」を目の当たりにして(4) [子育て・家庭]
(さて、昨日のつづきです。)
父のそのような様子を見た母も、やっと胸を撫で下ろしたようでした。
それまでの父の状態から、夜中などでも常に気を張り詰めて注意していたので、母も相当疲れ切っていましたから。
それは梅雨の最中のことでしたが、夏が終わる頃までには、少しずつ散歩に出掛けるようになり、「味はやっぱりしない」と言いながらも、食べるようになりました。
そして何よりも、私たちと以前のように話をするようになって、身なりなどにも気を配る父に戻っていきました。
「まさか父が!?」─ 高齢者の「うつ」を目の当たりにして(3) [子育て・家庭]
(さて、昨日のつづきです。)
再び隣へ戻り、私の話を聞いて驚く母とともに薬袋を確認したところ、もう1ヶ月分以上の量の3種類の「胃腸薬」がそのまま手付かずで残されていることが分かりました。
「え~?どうしてのんでないの?」
病院で出された薬は、きちんと服用しているとばかり思っていました。
退院したての頃、薬を1回分ずつ小分けにして用意してあげようとする母や私に、父は「手は動くし、ちゃんとわかっているんだから。倒れたからってボケ老人扱いするな」などと苦笑しながら言い、種類や数を確認しながら自分でのんでいました。
そうは言われても、こちらでもチェックしていたつもりでしたが、母も私も「胃腸薬」がその中に含まれていたかどうか、あまり記憶にありません。
このあたりで、私はかなり自分を責め始めていました。
父も、きっとそんな「胃腸薬」があったとは気づかなかったに違いない、あんなにも父の状態が悪くなってしまったのは、薬をちゃんと服用していなかったからで、それは私にも責任があると。
「まさか父が!?」─ 高齢者の「うつ」を目の当たりにして(2) [子育て・家庭]
(さて、昨日のつづきです。)
こんなこと、これ以上長く続けられない、とにかくこのままでは、最悪の事態にもなりかねない。
当然主治医の先生には「味覚障害」に関して充分相談しており、その治療薬ももらっているはずです。
梗塞を起こしてしまったのだから、薬をのんだからすぐ治るとは思えないけど、それにしても悪化しているのはまた どうして??
なんで、何も食べなきゃ死ぬって分かっているのに食べないで、こんなに「死にたい」と考えるのか?
とりあえず私がその場でできることとして、父が処方されている薬を片っ端から確認してみることにしました。
「まさか父が!?」─ 高齢者の「うつ」を目の当たりにして(1) [子育て・家庭]
父が脳梗塞で倒れたのは、今年の5月中旬でした。
生まれて初めての入院生活を経て、退院後間もなく発覚した後遺症の一つに、「味覚障害」というものがありました。
これは、父の場合で説明するならば、要するに「全く食べ物の味がしない。料理によっては、しないどころか非常にマズい。」というもの。
梗塞を起こした脳の箇所に、丁度味覚を司る部分がかかっていたらしいのです。
「いじめ」について [子育て・家庭]
『この記事はかなり長めです; それでいて考えていたことは、結局満足いく形で記せていません。
そのような中途半端な内容ですが、お時間にゆとりのある時によろしければお読み頂いて、いろいろなご意見をお寄せ下されば幸いと思います。』
それは愛なのか?美化された記憶~オムツ編 [子育て・家庭]
家の中に不用品が増えて来ました。
父の仕事の関係で、子どもの頃から引っ越し慣れしている私は、元々は「不要」と思えばサッサと処分できるタチです。
それが子どもが生まれてからは、(それまでは自信をもっていた)自分の記憶力というものに不安を覚える事態となり、それが原因で「要不要」の判断に迷うことが多くなりました。
『今、不用品だと思って捨てちゃって、後で何か大切なモノだったと思い出したら。。。』
などの思いと、モノがあればそれに纏わる記憶も確保できるかも、みたいな意識に捉われがちになり、結果(子ども関連のモノ限定ですが)その習性のみが現在にも引き継がれ、処分できなくて困っています。
そうそう、先に申し上げておきます。タイトルにあるように、今回はオムツの話です。
私は受験生じゃないけれど; [子育て・家庭]
一昨日の日曜日は、娘の志望大学の入試説明会に同伴して出席して来ました。
移動時間込みで半日がかり。説明会は実質4時間以上、しかも内容はかなり充実しており・・・・正直言って疲れました。
近来まれに見る真剣さで、4時間集中しっぱなしだったので。(* ̄・ ̄)ボ~。。。
とは言え、その大学は現在娘が通っている学校の系列ですから、本来ならばもっと気楽に参加しても良さそうなものですが、やはり娘自身が大学卒業後の人生までをも考えに考えた末選択した進路なので、親としても(柄にも無く)真剣にならざるを得ません。
この場でその某大学限定の入試に関することを、個人的な視点で書き連ねてもあまり意味がないのですが、せっかく出席したので感想を一つ。
「耳元での囁き」が危険な理由 [子育て・家庭]
この頃の子どもを取り巻く様々な状況から、携帯電話を子どもに持たせることを迷われている親御さんも多いことと思います。
子どもだけで行動している際に犯罪に巻き込まれそうになった時、その他の緊急連絡が必要な時のためには是非携行させたい。
でも、親が関知し得ない相手から子どもに不必要或いは危険な情報が、これまた親が全く関知し得ない時に、子どもに直接的に送り込まれて来る可能性もある。
また、現在出回っている携帯電話の殆どが有する多々の機能は、単に進化した電話を便利なツールとして使いこなすというよりも、利用者のバーチャルな世界観をより増幅させたり、逆に親から見て必要以上に多方面に渡っての他人とのコミュニケーションを、よりプライベートに、これもまた親から見て必要以上に長時間とり続けることを可能にしたりする結果に繋がる場合も多い。
そのように(私が感じたように)思われている方もいらっしゃるかも・・・。
ここで繰り返された言葉「親が関知し得ない」と「親から見て必要以上に」を、子どもが聞くと怒るかも知れません。
「親、親、って何(だよ)!?子どもは親の思った範囲内で生きなきゃなんないの(かよ)?常に把握して管理していないと気が済まないの(かぁ)?!」
と。 ある一定年齢以上の子どもですけど。個人差があるので、精神年齢も加味して考える方が良いかと思います。
でもまあ、そんな大袈裟な話ではなくて、客観的に見たその子どもの言動から、「うちの子はまだ親の方で注意して見ていてあげないと。」と思える様子が見て取れたならば、やはり心配も生じて気になるのが親心というものですよね。
どんなに賢い子どもでも、「その先に何が待ってるか。どの方向に突っ走ろうとしているのか。」を冷静に見極めるのはなかなか難しいものです。殊自分のこととなると。
ここ迄読んで頂いた方で、何かこれから非常に有意義な意見がこの記事で見られるかも、または批判に値する考えに接することができるかも、と感じられたなら、先に「すみません」と肩すかしをくらわせてしまうことを謝ります。