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「いじめ」について [子育て・家庭]

 『この記事はかなり長めです; それでいて考えていたことは、結局満足いく形で記せていません。
 そのような中途半端な内容ですが、お時間にゆとりのある時によろしければお読み頂いて、いろいろなご意見をお寄せ下されば幸いと思います。』

 
 久しく学校教育の現場ではびこっている「いじめ」について・・・。
 文科省は’94年に、
 「自分より弱い立場の者に身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛をかんじているもの」
と定義しているそうだ。

 少なくとも私は、特に義務教育期間には、子どもには基本的に等しく教育を受けて、健やかに学校生活を送る権利があると思っている。
 その立場には、強いも弱いもないはずだが。
 つまり、文科省による定義の、「弱い立場」という言葉に惑わされる。

 「学校でのいじめ」との言い方は、あくまでも、その苦しくむごい状況が生み出された場所が学校である、または学校生活を通じて知り合った、お互いの関係の中から発生したから、そのように表現しているのだろう。
 だが、『けっこうこの「学校での」という言葉が隠れ蓑になり、見えにくくなっていることもあるのでは?』などと感じてしまうのだ。

 リーダー・シップを発揮する子どもとイエス・マン、ガキ大将といつもやられっぱなしの子、とこのような人間関係は確かに昔からあった。
 でも、これと今(いや、もう20年来に渡って)言われている「いじめ」とは種類が違う。
 昨今の「いじめ」とは、もはや「精神的または肉体的リンチ」「人権侵害」に等しい。

 「いじめ」は、子どもの負の感情が本人の内部で消化しきれなくなった場合に外部へ流れ出し、それが行き着きやすい場所(文科省言うところの「弱い立場」の他者)を見つけた時に、それへ集中することで引き起こされる。
 要するに、外観は一見双方の「立場」の強弱に起因しているようだが(これは昔ながらのガキ大将といじめられっ子の関係か・・?)、その実は「いじめ」を行う子ども(達)個々の内面的な情緒や精神の発達と性格に一方的に起因している、と私は感じている。

 私に言わせれば、学校にいようが、家の中にいようが、公園にいようが、自分の感情をコントロールできなかったり、加虐的に他者よりも優位に立つことを好んだり、ひねくれていたり、意地悪だったりする子は、どこにいてもそうなのである。

 なーんて言い切ってしまうと、誤解を招きそうなので補足してみる・・・。

 今述べたような性質は、程度の差こそあれ、誰もが持ち合わせているとも言えるものだ。
 ましてや、人格的に発達の途中段階である子どもなのだから。
 自我や他への攻撃性などが思いっきり外へ奔出したり、また一方そのエネルギーが自己の内面に向かい様々なことを思い悩んだ末、謙虚になったり他への思い遣りが生じたり、と繰り返す・・・。
 その振幅の負の極に丁度当たる時期には、子どもによっては「いじめ」に走ることもあるのだろう、と想像できる。(八つ当たり的に自分の鬱憤や攻撃性を他者に向けること、私自身も些か身に覚えがあるし;)

 かと言って、ここのところ報道されているような「いじめ」が「許される」などとは、微塵も思わない。
 念のため。

 「いじめの芽」が生まれるのは、必ずしも「学校」が原因ではない。
 確かに学校側、つまり教師が目配り気配りを怠ったために、芽を育てて増長させる結果になる例は多々ある。(それどころか教師が率先して種を蒔くことすらあるようだが・・・。)
 でも、多くの場合、その芽の兆しやきっかけを目敏く見逃さず、自己の負の感情や欲求を満足させるためにそれを利用しようとする、誰か個人の存在があるように思える。

 「学校でのいじめ」との言葉には、どこか『家庭では良い子だから、学校(先生、級友、全体の空気など)に問題があるのでは?』みたいなニュアンスが含まれているような気もする。
 でも、「いじめ」の芽を育てないように学校にだけ求めるのは本末転倒だろう。
 非常に個人差が大きい情緒・性質・人格に関わる問題ということで、対処する学校や担任の教師にも限界があると思う。

 その問題について「誰にも生じ得る、自然な感情や性質」として捉えられる範囲の最初の表面化の時期は、幼少時期である。
 そうしてその時こそ、子どもの親、または親と同等の愛情を注ぐ子育てができる保護者や周りの大人が、愛情と包容力をもって対応できるか否か、より良い人間関係のあり方や人として何が正しいのかを、身をもって示し導けるか否かがとても大切なのではないだろうか。

 「負の感情」を頭ごなしに否定するのではなく、それの暴走を防ぐべく、子どもが心のバランスをとる自律の方法を自分なりに模索できるよう、身近な存在の親(大人)が体現して示せれば理想的だ。

 これは、とてもとても長い道のりで、一日二日だけ猫被っているのと訳が違う。
 また、私達親(大人)を見つめる子どもの目は一途で、時に厳しいものでもある。
 子どもの前で、平気で他人の悪口を言ったり、自分が気に入らない他人の個性を攻撃したり、誰かを仲間はずれにして優越感に浸ったり、差別意識が強かったり意地悪をしたり・・・もう数え切れないほど、もってのほかの事項があり、枚挙にいとまがない。 

 それから、「悪ふざけ」の振りをして相手を傷つけ笑いをとる、「ウケ」を狙う、などという貧しい発想が、どうしたものか「本音でズバリ」「歯に衣着せぬ物言い」などと勘違いされ、持てはやされる下らない文化なども、そのまま何のガードも無しに子どもが受けとめると、どのような影響があるのか。

 子どもを、家庭の内外から発信される「負の情報」に、考え無しに晒してはあまりに無責任だ。
 垂れ流されている「負の情報」をアンバランスに溜め込んだ土壌が、根深い「負の感情」を萌芽させる温床となる、と肝に銘じた方が良い。


 親やそれに代わる大人も人間だから、何も「厳然たる徳高き人格者とあれ」などとは言わないが、と言うより自身を省みてとても言えないが・・;
 豊かな人間関係を築き、他者への思い遣りが溢れている親(大人)の姿を見て育つ子どもは、きっと幸せであろう。
 そしてその子どもが成長して人の親となった折には、意識しなくとも自分が育てられたように子育てするのだろうから、そのままの自然体で望ましい方向へと進んで行くのかも知れない。(少し希望的観測もあるけど。)

 「学校でのいじめ」で、つらい思いを強いられる子どもが、ただの一人もいなくなることを願っている。
 「学校でのいじめ」は学校が行うのではなく、人が行う。
 人を育てているのは、これまた人なのである。
 忘れないようにしていきたい。
 


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コメント 24

深刻な問題ですね。
昔もいろいろありましたが、今の「いじめ」とは質が違いますね。
親や家族が占める割合も多いのでしょうね。
嫌な時代になってきましたよ。 
by (2006-10-29 01:47) 

人って、自身の嫌な面を持つ他者を嫌う傾向があり、自分を愛せない人は、外向か内向の違いにより、他人か自分を傷つけるのだと思います。他にも色々在るとは思いますが、結局のところ、人との関わり合いの問題なのですよね。歪みも偏りも無い豊かな愛情を注がれ、自分が自分であることに満足であることが、全ての人に与えられるものであれば、少しは違うのでしょう・・・・
虐め問題を解決することなど私にはできないけれど、子供達にピュアな愛情を惜しみなく与えることが、遠回りではあるけれど、大切なのだと思います。
by (2006-10-29 03:47) 

パキちゃん

>シンナツさん  いつもご訪問頂きましてありがとうございます^^
そうそう、質が違う感じです。 「いじめ」は子どものストレスから引き起こされる
と考えられて、ゆとり教育などという案が実施されましたが、子ども達の現状は変わりません。
私は、学校教育より以前のもっと根本的な「人間性を育てる」部分での問題だと思います。
コメントを寄せて下さって、ありがとうございました^^
by パキちゃん (2006-10-29 17:26) 

パキちゃん

>ゆきさん  いつもご訪問頂きましてありがとうございます^^
自分を愛せない子どもと、自分しか愛せない子ども・・・。そして子どもはいつか大人になる。
そしてそのような大人達の形成する社会で、子ども達がまた育まれる。
ちょっとしたホラーより怖い気がします; ゆきさんが仰る遠回りだけれど大切なこと、これをもう一度大人達は心に留める必要がありますよね。コメントをありがとうございました^^
by パキちゃん (2006-10-29 17:40) 

タックン

今日もいじめによる自殺というニュースが流れていましたね。
パキちゃんさんが言われるように、身近な大人の責任は大きいと思います。
でも・・・どうして死を簡単に選んでしまうのかと・・・。死というものを実感できていないまま、すっとそのラインを飛び越えてしまっているように思えてしまうのです。子どもたちに、もっと「死」について語る必要があるのではないかと。
by タックン (2006-10-29 21:24) 

ウチの子が6年の頃、みんなが無視している子がたまたま隣の席になったとき、椅子をちょっと離したことがありました。そうしないと自分もターゲットにされるから。そのことを聞いた夫はものすごく叱りました。後にも先にも息子を強く叱ったのはこの時だけです。私も泣いて、言いきかせました。「あなたが、その子を嫌いなら無視してもいい。嫌いでないなら普通に接しなさい。みんなが無視するから、自分も無視するなんて一番いけない。」と。息子はちゃんと受け止めてくれたと思います。
いじめる子達は、愛されている実感の持てない子だと思います。愛されてるという実感のない子は、自分を大切にしません。自分を大切にしない子は、他者を大切にすることもできません。
本当に簡単なことなんです。無条件の愛情を子ども達に注ぐだけでいいんです。
死を選んだ子どももまた、自分がどんなに大切な存在であるか気がついていなかったんですね。ニュースを見ると涙がこぼれます。なんてもったいないことをするんだろう。どんなにいじめられたって、愛してくれる家族がいるじゃない。学校なんてやめればいいじゃない。学校がすべてじゃない。他にも選択肢はいっぱいあるのに。
by (2006-10-29 22:36) 

パキちゃん

>タックンさん  いつもご訪問頂きましてありがとうございます^^
最後の一線で引き止める何かが本当はあったはず。でもそれに思い至らないほどにつらい気持ちが強くなっているのでしょうか。子どもには無理も無いことかも知れません。
子ども達が命の大切さを学んだり自身を内省して向上するために、大人の見守りや支えが
必要なことを忘れないようにしたいです。コメントをどうもありがとうございました^^
by パキちゃん (2006-10-30 00:34) 

パキちゃん

>プリンちゃん  いつもご訪問頂きましてありがとうございます^^
息子さんがその話をできたのは、親子間で強い絆があってこそですネ。私も、何も聖人君子でなくてもいい、最低限人として正しい方向性を子どもに示せる親でありたいです。
また、確かに学校という器に拘ることないのですが、当事者として深く傷つけられた子どもには、なかなかそのような発想の転換は難しいのでしょう。
私は今回、相手に死ぬほどつらい思いをさせて平気で(喜んで)いる人間に育てないためには・・・に視点を置いて考えてみました。(まとまらなかったけど・・・)
難しい問題です。やはり最後は「愛情の質」なのかなぁ。。。と思っています。
プリンちゃんも、コメントありがとうございました^^
by パキちゃん (2006-10-30 01:25) 

ナガサキ

僕は「いじめ」に関しては、昔とそう変わっていないと考えています。僕は「昔」を知らないのでおこがましいとも思うのですが、今騒いでいる世代の方々はニュースにあがらない「平凡な今」を知らないとも思うのです。
「親」も「子供」も「教師」も「学校」も、昔とそんなに変わっていないはず。愛情を注げない親も、注がれることのなかった子供も、子供をきちんと見つめられない教師も、体裁ばかりを気にする学校も、今も昔も変わらずいて、その一方で、きちんとした方々も変わらずいるはずなのです。
今回、パキちゃんさんの記事を読んで、「下らない文化」と「学校における」という2点に関するご指摘が僕にはとても目新しく思えました。どちらも「情報」という点に集約されてしまうのですが。
本当に「下らない」文化が蔓延している気がします。逆の、感動の面でもありきたりな押し売りばかりですし。過渡期ではあると思うのですが、それによる影響をもっともっと考えなくては、と思います。しかしストッパは十分ありますが。親が見せなければいいと思います。
そして本旨である、「学校」に焦点をしぼる危うさについても、本当に同感です。少しでも前に進むためには、「学校」という不完全な器を責めることでも、「家庭環境」というわかりやすい負の面をあげつらうことでもないと思うのです。それがないからと言って自分を棚に上げないよう、ひとりひとりが、ひとつひとつきちんと向き合っていくことが今も昔も変わらない「いじめ」を根本的に解決できる唯一の手段だと僕は思います。

長いコメント失礼しました。
by ナガサキ (2006-10-30 03:57) 

パキちゃん

>ナガサキさん  お早うございます^^
いじめの「今」と「昔」についてですが、仰ることはもっともだと私も思います。
ただ、「昔」との言葉は表現が少々曖昧でしたネ;^^ 私が子どもの頃もいじめはありましたが、いじめられた子が自ら命を絶つ迄に追い込むような質のものは、これ程多くありませんでした。
「いじめ」の原因や構造自体は変わらなくても、この20年ばかりは歯止めが無くなっているように思え、その歯止めとは何なのかを考えていた次第です。
それを思う時、「学校」という括りに捉われると、根本的なことを見逃します。
くだいて言えば「他を傷つけることを自分の喜びとしている」いじめ。
「ある一定の価値観から外れた他を排除しようとする」「規範意識や自制心の欠如」など、これらは大人の社会の暗部にも存在し、澱のように子どもの社会に沈み溜まっています。
まずは、大人が大切な子ども達をどのように育んでいくか、(当たり前のことなのですが)真剣に考えなくてはならないと思います。
このまとまりのない記事から主旨を汲んで頂き、嬉しく思います。ありがとうございました^^
by パキちゃん (2006-10-30 08:48) 

いじめについては、私も一人の親として、考えさせられる点が、多々あります。
自分に出来る事って、なんだろう?と。
いつも思い出すのは、子供達がお世話になってる先生からの言葉です。
「他人の事を『自分事』の様に考えてご覧」
子供達にも、言い続けたいと思っています。
by (2006-10-30 10:19) 

畑の帽子

>昨今の「いじめ」とは、もはや「精神的または肉体的リンチ」「人権侵害」に等しい。
>いじめ」を行う子ども(達)個々の内面的な情緒や精神の発達と性格に一方的に起因している
 
本当にそう思います。12年前のいじめ自殺事件が報道された頃に生まれた子達が今小学校の高学年。あんなに衝撃を受け、みんなが考えさせられたはずなのに、今起きていることからは 何の進歩も感じられません。

>「負の感情」を頭ごなしに否定するのではなく、それの暴走を防ぐべく、子どもが心のバランスをとる自律の方法を自分なりに模索できるよう、身近な存在の親(大人)が体現して示せれば理想的だ。
>子どもを、家庭の内外から発信される「負の情報」に、考え無しに晒してはあまりに無責任だ。垂れ流されている「負の情報」をアンバランスに溜め込んだ土壌が、根深い「負の感情」を萌芽させる温床となる、と肝に銘じた方が良い。

本当に 同感です。 
常々「情報」に関して考えさせられることが多く、フィルター無しで幼児に送り込まれる負の情報の恐ろしさを考えるとたまりません。
それぞれいろんな生活の形がありますが、子供を生み やがて社会を支え形作っていく一人の人間に育てることは 責任の重い一大事業だと思っています。
子育てはほぼ終わった私ですが、よかったなと思うことの一方で 悔いていること謝りたいことはたくさんあります。
ですから、これからもずっと 離れていても 見守っていくつもりです。 

今つらい状況にあっても、自分の場所がある、ここで生きていけると思える場所を見つけられる世の中であって欲しいと思います。
by 畑の帽子 (2006-10-30 10:44) 

パキちゃん

>ki_no_koさん  いつもご訪問頂きましてありがとうございます^^
その先生のように声を掛けてくれる大人の存在は貴重です。
他者との共感をもてる子どもは、大人がサポートする言葉によりハッと思い当たり、自分の言動を客観的に考えて反省することができますよね。
私は、この「他者との共感をもてる」かどうかが鍵であり、それは幼児期で培われることなのだと思っています。
それも、特別な情操教育や○○教育のように、こうすれば万全だとのメソッドなどではなく、自分を真の意味で愛してくれている人達との日々日常の触れ合いの中で。
そして、その触れ合いは時間の長さではない、とも思っていますけどネ^^
コメントをどうもありがとうございました^^
by パキちゃん (2006-10-30 12:00) 

パキちゃん

>畑の帽子さん  いつもご訪問頂きましてありがとうございます^^
私も、大人社会から発信される様々な「負の情報」を、子ども達が無防備に受信し続けるこの日本の現状に、危惧の念を感じて久しいです。
何しろ社会が変わるのを待っていてはこちらの人生が先に終わりそうなので、
自分なりにいろいろ考えてやって来ましたが、子どもも社会の中で生きていますからね;
また、純粋培養していても、親元から飛び立てば却って耐性が無い分危険ですから、時や事に応じて親子の対話を重ねたり、偏狭な人間関係に陥らぬよう留意したりしていました。それがどのように子どもの心理・情緒的発達に作用したかは、全然判りませんけど;
この社会においても、大概の親や大人は、試行錯誤しながらもその幸せを願いながら子ども達を育んでいると思います。ただ、「三つ子の魂百まで」の諺もあるように、ある程度その人間性を決定付けると言える、「自我の芽生え」時期の子育てが如何に大切か、自省を込めて考えることの多いこの頃です。子育て終了間際の母親としての、拙い経験からの思いですが;
最後の「今つらい状況に・・」からの一文が心に残ります。コメントをありがとうございました^^
by パキちゃん (2006-10-30 13:09) 

難しい問題ですね。
マスコミの情報からは、学校だ、職場だと、擦り合いのように
取り上げられていますけど、
それも一因ありとは思いますが、何か違いやしませんか?と、思ってしまいます。

いじめをする人と、しない人がいます。
大人の世界しかり、子供の世界では常時。
この違いは何かと考える時、
初めからいじめ因子(?)を持っている人と、持っていない人とに
別れているように思えるんです。
それは、その人の成育に大きく関わっているのでは?というのが私の持論です。
希薄な家族・人間関係のなかで育つ子供と、
常に会話があり、団欒のある関係の中で育つ子供とでは、
大きな差が出てくると思うのです。
知能の高い低い、生活レベルの高低などは決して関係ないと。
いじめは、連鎖です。
自分の成育された環境が、また次の世代を成育するのです。
これを断ち切るには、まず教育しかないと思うんですよ。
他人を思いやる気持ちや、命の尊さを 語り、体験させる。
それ以外にどんな方法があるのだろう??と。。
親はいつも被害者のような態度ですが、育てる親が一番影響大なのですよ。
親に変わってくれというのは無理ですかね~

昨日の新聞に、北海道滝川市でチラシ300枚を該当で配った。と、
描かれていました。内容は「いじめをしない。させない。見逃さない。」
変わってくれればいいのですが。。
強い口調になってしまいましたね。(笑)
by (2006-10-30 18:08) 

パキちゃん

>風子さん  いつもご訪問頂きましてありがとうございます^^
私も(繰り返しになりますが;)「いじめ」は、いじめる側の心の問題だと感じます。
「いじめ」を第三者からの圧力で一時的に止められても、根本的な解決には至りません。その後は露見せぬよう、より陰湿に水面下で行われるようになるのですよね。「いじめ」につながるような暴走した「負の感情」は、他者には止められない、止められるのは、唯一その本人の意志だけだと思うのです。何故なら、それはその人の心だから。。。
私は、記事中の『「負の感情」を頭ごなしに~』の一文にて述べた、子どもが自分なりに模索して自律を獲得するしかないように思います。
とともに不可欠なのが、その子を支える親や周りの大人の愛情なのだ、と。
親が変わる必要がある場合、子どもを愛するならば変われるのではないでしょうか。
要は私達大人が問われている問題なのですよね; 
>強い口調に・・・ いや~、この際これは勘違いじゃない「本音でズバリ」ということでw
コメントをどうもありがとうございました^^
by パキちゃん (2006-10-31 00:50) 

eritaro

う~ん、とっても難しい問題ですね。
万能な解決策などないだけに、一般論として自分の考えを述べることがむずかしいです。
パキちゃんさんの記事で特に考えさせられたのは「負の感情」との向き合い方です。自分の課題として受け止め、考えさせられました。
なんだかまとまりません。それだけ難しい問題なんだと思います。
by eritaro (2006-11-01 12:50) 

パキちゃん

>eritaro さん  いつもご訪問頂きましてありがとうございます^^
そうなのですよね; 本当に難しい問題だとつくづく思いました。
「いじめはよくない、やめよう」と言われ続けても何も変わらないのは、それは「いじめ」を行う側が、理性によって自分をコントロールできずに、感情や感性に逆に操られているからなのだと考えられます。
ここでは、他をいじめる原動力となる感情を「負の感情」としているのですが、
この種の「いじめ」を行う年齢になってから、抑圧されることなく、感情を負から正へと転換させる術を意識的に身につけるのは、相当困難ではないかとも;
(とは言え、やめてもらいたいですけど。報道を見聞きするだけでも、辛過ぎますから。)
幼児に己をコントロールせよ、とは無理な話で、身近な大人が「負の感情」に溺れない姿を、そしてその方が幸せで心が楽であることを示し育てていくのも、一つの方法かなぁ・・と思いました。
結論の無い話にも拘わらずお読み頂き、そしてコメントを、ありがとうございました^^
by パキちゃん (2006-11-01 20:08) 

パキちゃん

>g_g さん  nice!をありがとうございます^^
by パキちゃん (2006-11-02 23:45) 

miho-rin

じっくり皆さんのコメントも読ませていただきました。
子供を持つ一人の親としてはきってもきれない問題だと…
いじめられる側が いじめだと感じた時点で
もういじめなんですよね
それを これくらいのことで…など加害者側であるいじめた人が
言うのは 間違いだと思います
相手がどう感じるかは 決まりがないのですから。
いつも私は 子供に もし自分がやられたらどうする?
どんな気持ちになる?と聞いています
ニュースを見聞きして いじめによって子供が自殺してしまう
そんなニュースを聞いた時 子供の前でしたが涙が出てきました
それを 横で子供はどう感じたのかはわかりませんが
死んで良い人なんて 誰一人いないんだよと 
それだけは 伝えたかった
ここ最近のいじめは 相手の逃げ場さえ 奪ってしまう
昔は いじめたとしても 
最後の逃げ場だけは 
見逃してあげた優しさがあったような気がしてなりません…
by miho-rin (2006-11-05 14:19) 

パキちゃん

>みほさん  お元気ですか?^^ ご訪問頂きましてありがとうございます
「いじめ」の問題を自分の身に置き換えて考えられ、その悲しみを共にできる人達が声を上げたなら、状況も変わるように思えます。
みほさんの涙は、きっと息子さんに多くのことを伝えられたように思いますよ。
世の中では「いじめはいけないと伝えていく」ことばかりに力を入れているように思えますが、現在進行形で起こっている「いじめ」を止めさせるには、コレしかないかな、と。
実際は「いじめ」がいけないことだ、なんて皆解っているのでしょうが・・・
でも止められない、何とも思わない子ども達がいる、それでも良しとその子どもが思い違いをする要因がこの社会にある、そこが根本の大きな問題ですよね。
あまりにも大き過ぎて、まずは自分のできる範囲内で大人が充分配慮して子どもを育むべき、としか考えつきませんでしたが;
ご丁寧にお読み頂いて、本当にありがとうございました^^
by パキちゃん (2006-11-06 03:07) 

パキちゃん

>kinngyo さん  はじめまして。nice!をありがとうございます^^
by パキちゃん (2006-12-01 05:23) 

春分

この問題、大学のメーリングリストで盛り上がっていていました。仲間内にはこの専門家がおおくいるので。でも私は議論には混じりませんでした。
たぶん当事者ではなくなったから。子供達が大きくなったから。気が抜けたか。
とりあえず、子供達が死なないで強くなって、今生きていてくれるので。
by 春分 (2006-12-07 22:50) 

パキちゃん

>春分 さん  いつもご訪問頂きましてありがとうございます^^
そうなのですよね。親としては、ひとまず我が子に直接的に波及する問題ではなくなった、と認識するとそのように感じるものですよね。
我が家では昨今の報道を受けて、親子でこの問題を話し合う機会が多くなり、この場でも取り上げました。
ちなみに娘は、「例えどんな理由があろうとも、自殺は絶対にいけない。」と言っています。
私もそう思いますが、健全な精神状態の時ならばいざ知らず、周りから自己を否定されるという、絶望的な孤独からのつらさと苦しさの中で追い詰められてる精神状態の時には、果たしてこの正論が「自殺」をひき止めるだけの効力を発揮するものかどうか、などと考えてしまいました。
春分さんのコメントの、最後の文頭の「とりあえず」・・・私はこの言葉が好きです^^;
by パキちゃん (2006-12-11 08:52) 

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