「ただ休まなかっただけ」の賞に価値があるワケ [子育て・家庭]
学校が春休みに入り数日経ってから、
「ああ、そう言えば」
と、娘が1枚の賞状を出して来ました。
「あら、何の賞を頂いたの?」
「うん、別にたいしたものじゃないの。」
賞状を持って帰る時はいつもちゃんと筒型のケースに入れているのに、この賞状はそのままカバンに無造作にしまわれていたらしく、巻いた跡のところどころに薄く折線がついていました。
「どれどれ、なーに?」と家事の手を止めて受け取って見ると、簡素な用紙に「皆勤賞」と美しく大きな文字で書かれているのが目に入りました。
私が黙って文面を読み見入っていたところ、娘が喋り続けます。
「高1の秋に身体こわして休まなければ、中学から高2まで5年間皆勤だったのに。小学校でも1年生の時高熱で4日休んだだけで、あとずーっと5年間皆勤だったのにね。毎年のようにもらうこと多いから、別になんてことないよ。小学校から12年間皆勤の人も時々いるらしいし・・・。」
学校内部の、しかも「ただ休まなかっただけ」の賞に対して誇らしげに振舞う気にはなれない、との「照れ」が感じられる、そのような様子でした。
そこでまた、ムラムラと私のへそ曲がり根性が・・・w
「えらいっ!皆勤賞はママに言わせれば一番立派な賞よ!
自慢じゃないけど、ママは小学校から学校というものに通い始めて皆勤だったことなんて、いっぺんも無かった。
たいしたことないことない。社会に出て仕事をするようになってもお家のお母さんになっても、とっても大事なことなのよ。」
普段滅多なことでは褒めない私がそう言ったので、娘は「は?」というようにこちらを見ていました。
虚弱体質で軟弱ものであった私は、小さい頃は喘息の発作が出れば何日も休み、成長してからは低気圧が近づけば激しい偏頭痛が起こるので、雨が降ればたいていが欠席、との学校生活でした。(さすがに社会人になってからは、頭痛薬を服用し続けて、極力仕事を休まないように努力しましたが・・。)
娘が小学校に上がって間もなく、40度にもなる熱が下がらず欠席した際に、心に思ったものです。
『高熱を出す体質のこの子だけど、私のように休み癖がついたら困るなぁ。』と。
病気で身体を休ませるのは当然です。
でも私が気懸かりになったのは、「休む。欠席する。欠勤する。」のに何の抵抗も無い人になっては、将来本人には却ってつらいこととなるだろう、との考えからでした。
何でつらいことになるのか。これは幼い子どもに説明しても、うまく理解できないであろうから、
『とにかく健康管理をきちんとして、先生や他の生徒に迷惑が掛からないのなら、安易に休ませないように心掛けよう。
重篤な病気に繋がらないか充分気を配り、何か心配な状況なら下手にこだわらずにその時は休ませよう。』
と、そう考えてやって来ました。
だんだん学年が上がるにつれて、定期試験前になると試験勉強のために学校を休む生徒、海外旅行のために飛び石連休や行事のみの登校日を休む生徒などが増えて来ても、我が家は我が家の方針で、娘も「学校は休まないのが当たり前」との感じで過ごして来ました。
小3の時に手首を「若木骨折」した際、病院で医師の診断と治療を受けて、私が「頭や足をケガした訳じゃないし、利き手は無事なんだから大丈夫よ。」と休ませなかったのには、さすがに娘も「オニ母」と思ったようです。
もっとも電車通学は危険なので、学校に届出をしてギプスの間は乗用車による送迎の許可を頂きました。でも結局2日もしたら、お友達が協力して下さるから、と自分から通常のように通学し始めました。
私は、お友達に感謝するとともに娘に対しても、
『もし私だったら、きっと楽な方法を取るだろうけど、この子は意外と頑張りやさんだわね。』
などと心中ちょっと感心したものです。(娘がこのことを知ったら、「自分が普段厳しいこと言っててナニそれ~!」と怒りそうですが・・・。)
高1の時に胃腸を悪くしてからは無理は禁物と肝に銘じていたので、皆勤賞などはもう全く念頭にありませんでした。
「とにかく、皆勤賞は立派な賞なのよ。懦弱な心身では頂けない賞なの!」
と殆ど自分に向けて言い聞かせるが如く強調する私を、半ばあきれたように笑いながら見ていた娘でした。
そしてポツンと、
「ミミも喜んでくれるかなぁ・・・」
とつぶやきました。
そうなのです。先月長年に渡り家族であった愛猫のミミが他界した翌朝、泣き腫らした目で起きて来た娘が、珍しく「学校、休みたい。」と言いました。
気持ちは充分に解りました。私でさえ、何もしないでずっと泣いていたい、と思いましたから。
でも、すぐに零れそうになる涙をこらえながら、やっぱり出掛けて行きました。
「学校を休んで今日一日家で悲しんでいたからって、ミミは生き返らないし、却って心配して天国から励ますだろうね。『Yちゃん、しっかり!』と。そんなコだったよね。」
と二人で話しているうちに、行こうという気持ちになったようでした。
その日は学校で、先生を始め大勢のお友達から慰められ、親友は一緒に涙して下さったそうで、帰宅した時には(悲しさはあっても)ずい分気持ちが軽くなった様子をしていました。
ありがたいことです。周りの方々の優しさに拠るのは元よりですが、娘が悲しみで傷ついた心で出掛けて行っても癒して頂ける、「素のままの自分を受け入れてもらえる居場所」を家庭以外にも見出せている、ということが。親としては、本当にありがたく思います。
「きっと喜んでる。目を細めてしっぽをゴキゲンに振って。Yちゃん、エライね、って。」
「うん。私もそう思うよ。」
「立派な賞なのよ。」
「あはは、わかったから、しまっといて。」
つくづく飾り気のない賞状ですが、心に様々な思いを呼び起こす「皆勤賞」です。
娘の意に反して、春休みの間は見える所に飾っておこうと思っています。
皆勤賞おめでとう!
息子は1日も休まなかったけど、精勤賞でした。
登校途中の電車で居眠りして、乗り過ごし遅刻1回。
入学式で校長先生に、遅刻をしませんって誓ったのに、残念!!
by (2006-04-01 07:08)
>プリンちゃん nice!&コメントをありがとうございます^^
息子さん、惜しかったですね~;
仕事帰りの電車で心地よくまどろみながらも、なんかイヤ~な予感がして
それで必死で瞼をこじ開けて外を見ると、降りるはずの駅のホームの景色が!
バッと立ち上がったとたんにドアがプシュ~と閉まって・・・(昔の経験談^^)
やっぱり、息子さんもお疲れなのね。
でも疲れる程、打ち込めるやりたいことがある、って素晴らしいですよネ^^
by パキちゃん (2006-04-01 10:09)
皆勤賞、素晴らしいことですよ。
自身の体のコントロールがきちっと出来て、雨の日も風の日も
お友達とうまくいかなくて悩んだり、先生に叱られちゃって行きたくない朝も
(女の子の場合は特につらい日だってあるのですし)
そんないろんな思いや困難を 乗り越えて「通い倒した」んですから!!
うちの子は毎学期、所謂「事故欠」が数日出るのですが、
今学期人生ではじめて 欠席0 でした。本人より母が嬉しかったです。
by sei-blog (2006-04-01 10:39)
私ら60年ほど前も皆勤賞の話はあって、休むのは 悪 の様に思われる
時代でした。休みたくても自分からは言い出せない、・・そんなムードでしたね
でもその頃 皆勤賞 ってあったかな?あったような気もしますが???
by お散歩爺 (2006-04-01 13:57)
>seiさん nice!&コメントをありがとうございます^^
お嬢さんも良かったですね!seiさんのジンワリと嬉しいお気持ち、わかります^^
ウチの子は元々学校が大好きなのですが、
それにしても私にはとても真似できないことです。
「通い倒した」に、思わず笑いましたw
by パキちゃん (2006-04-01 20:43)
>旅爺さん nice!&コメントをありがとうございます^^
最近の新入社員さんの中には「自分が休みたい気分の時には欠勤する」、
それで注意されれば「会社をすぐやめる」人も珍しくないそうです。
「~したい」ことを押し通してもお給料を頂ける、その人に合った職業ならいいですけどね。
でも「悪」との雰囲気は厳しいですね;私などは差し詰め「悪の権化?」ですかw
by パキちゃん (2006-04-01 21:15)
こんばんわ!
私も昔、皆勤賞だけは自慢でした(^^)
今でもずる休みだけはどうしてもできません。
簡単のようで、本当はとても難しい賞ですね。
ミミちゃんへの報告のお話・・・胸がじーんとなりました。
by タックン (2006-04-01 22:46)
>タックンさん nice!&コメントをありがとうございます^^
自分が学生の頃は、「休まない」ことに大した価値を感じていませんでした。
社会に出てからは例え実力主義の業種であっても、個人で事業を起こせば尚のこと、
家庭においても家族の生活のサポートや家の切り盛りに、と・・・
怠けたい心に打ち勝ち、勤め続けるのが如何に価値あることか思い知りました。
本当に簡単なことではありませんよね。(タックンさん、すごいなぁ!)
娘は、ずっとミミが見守ってくれている、と感じているようです。
by パキちゃん (2006-04-02 08:00)
>ホシさん nice!をありがとうございます^^
お元気そうで何よりです (^▽^)丿
by パキちゃん (2006-04-02 18:34)
>incrocioさん 初めまして。nice!をありがとうございます^^
by パキちゃん (2006-04-13 08:38)