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「その時」は、いつか選べない [気ままにessay]

 昨日、自治会の集まりで聞いた話です。

 私だけが知らなかったのかもしれませんが、ちょっと驚きました。ハズに話したら、それらしきことを知っていたので、やはり世の中ではけっこう当たり前のことなのかも・・・。

 ご近所の90歳を超える高齢のおば様(とてもこの年齢にはお見受けできず矍鑠となさり、いつも大へんお綺麗なのでこう呼ばせて頂いてます)、10年前に夫婦二人暮しであった連れ合いのご主人に先立たれました。
 ご主人はそれ迄もいろいろと高齢者ならではの疾患はあったそうで、その日の前日から体調があまり良くなく寝たり起きたりで、翌休日の夜にお亡くなりになったのです。ベッドの中でおやすみになったまま。

 ここで、ちょっと質問ですが・・・。

 もし寝ている家族の異変に気づき、起こしても反応が無く何か尋常でない様子が見て取れた場合、あなたならまずどうしますか?

 私は・・・・おそらくすぐに救急車を呼ぶと思います。一刻を争う事態との予測がつけば尚のこと。なんとなく、もはや手遅れでは?と悪い予感がしたとしても。

 このおば様も、そうなさいました。
 そうして救急車が到着し救急隊員の人が部屋に入り、ご主人の様子をつぶさに診たのち、オロオロと心配するおば様に「ご不幸」を告げました。
 おば様のショックは如何ばかりでしょうか。

 でも本当のショックな出来事はここからでした。
 まず、すぐに警察に連絡されて、暫くして警官が数人駆けつけてきたそうです。そして茫然としているおば様に、
 「はい、あんた、どっこも触らないで。旦那さんにも、その辺の物にも触れないように!」
と言い、挙句には
 「これから検死しなくてはならないからね。不審死ということで解剖して調べることになるから。奥さんにもいろいろ質問させてもらいますよ。」
と伝えたそうです。

 その他(私には)驚くようなやり取りが諸々あった訳ですが、始めから要約するとこういうことです。

 自宅でおば様といる時にご主人がお亡くなりになった。
 救急隊員が到着した時点で、もうすでにこと切れていた。
 そこで不審死扱いとなり、警察の管轄に移り、ご遺体は検死解剖に回される。
 慌てふためくおば様は、「せめてキレイな下着に着替えさせたい、入れ歯もはめてあげたい。」と懇願するも、「絶対に触れてはいけない」と却下される。
 ご主人が運び出される準備のさなか、おば様の事情聴取が続けられる。
 車で10分程の所に住む長女の方に連絡して来てもらい、同席してもらう。
 掛かり付けのホーム・ドクターに、どうにか連絡が取れて来てもらう。
 一様に事情聴取される中、家中をなんらかの不審な痕跡が無いか調べ尽くされる。
 (この後、おば様がご主人のご遺体とともに検死の病院に同行なさったかどうか、お話からはわかりませんでした。こちらから伺うのも憚られたので。)
 一通り終えて病死であることが明らかになり、改めて悲しみが湧き上がったおば様に、警官(刑事?)の人が「あんたのことは、これから向こう5年間は、よーく見させてもらっとくからね。」と言った。

 「まるで私が主人のことを何かした、みたいに言うから、もう腹が立って腹が立って!」
と、おば様は、思い出してもハラワタが煮えくり返る様子でした。
 当然ですよね。
 当時のその状況を知るお向かいの方も、「本当にあの時は酷いめに遭われましたよねぇ」と心底気の毒そうに仰っていました。

 一連の話に、お気の毒に思うのもさることながら、私としては「じゃあ、どうすれば良かったの!?」との気持ちが強くて、思わずその場に居合わせたご近所の諸先輩方に尋ねたところ、教えて下さいました。

 「自宅の時は、とにかくすぐ掛かり付けのお医者さんに来てもらうのよ」
 「そうそう、医者からの話だと、警察も処理が早いからね」
 「明らかにまだ無事そうな時だけよ、救急車を呼ぶのは」
 「掛かり付けのお医者さんに連絡がつかなかったら、運が悪かったと諦めるしかないね」
 「うん、平日の日中に逝くことを祈るしかないわよね」

 「えーーっ、そ、そんな~・・・

 知りませんでした。「畳の上で死ねれば本望」とよく聞きますが、残された者には状況によっては、悲しみに暮れる間もなくとんでもない話の展開になるのだ、ということを。

 ウチの掛かり付けの病院は、院長先生を始め皆さんご自宅は別で、どちらにお住まいかもわかりません。
 ちょっと、不安になりました。いえ、かなり・・・。
 ま、警察の方も手順として、マニュアル通りに対処なさっているのだとは思いますが、肉親が急死してしまった時に、今回聞いたような感じで事情を訊かれたり調べられたりするのは、とても耐えられないような気がします。
 その担当者の人柄による、とも思えますが。

 でもやはり後の事を考えると、病院で、また自宅ならば平日のホーム・ドクターの診療時間中に、大往生したいものです。(なんだか死ぬのもメンドクサイ気がして来ました;)


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叔父は、自宅で亡くなると解剖されるので、寝たきりの祖母の具合が悪くなると即座に入院させていました。「解剖されるのは可哀想だ。」と言ってました。
祖母は1年前に、病院で家族に見送られ亡くなりました。
マニュアル通りの検死解剖はしょうがないとしても、病死と判明しても犯人扱いするのは度が過ぎていますね。
by (2006-04-03 19:20) 

タックン

ちょっと辛い気持ちで読ませていただきました。
母が自宅で息を引き取り、同じような経験をしました。
犯人扱いまではありませんでしたが、一応変死ということで監察医に回されたのですが、その監察医の都合で母は一晩警察の安置所に置かれることになったのです。たったひとりぼっちで・・・。
あまり思い出したくないその日の出来事ですが・・・どうして救急車を呼んでしまったのか、今でも後悔しています。
by タックン (2006-04-03 22:53) 

パキちゃん

>プリンちゃん  nice!&コメントをありがとうございます
そうなのですか;叔父様はご存知でいらっしゃったのですね。
私はこの年齢になって初めて知り、驚きました。
考えてみると、確かにそのようなことになるとは思いますが、
大切な人を失った直後の家族には、酷過ぎるように思えてなりません。
結局このおば様も、10年経っても心に傷を負われている訳ですから・・・;
もっと別の方法とか接し方はないのでしょうかねぇ。。
疑ってかかるというのは、論外ですよね。
by パキちゃん (2006-04-03 23:23) 

パキちゃん

>タックンさん  nice!&コメントをありがとうございます
タックンさん、つらいお気持ちにさせてしまい、本当に申し訳ございませんでした。
でもたいていの場合、やはりまず救急車を呼ぶと思うのです。
助かって欲しいと思えばこそで、きっと私もそうします。
どういうことになるか、知っていようがいまいが、気も動転しますしね・・。
だから、そうした人の情を無視しているように感じる手順や規則が、
言わせてもらえばおかしいのです。殊、他の事とは違いますから。
せめて、遺族の方の悲しみが増すような方法は改善すべきだと思いました。
by パキちゃん (2006-04-04 00:05) 

パキちゃん

>seiさん  nice!をありがとうございました。
by パキちゃん (2006-04-04 00:10) 

お散歩爺

そういう事は全然知りませんでした。
場合によっては厄介な事になるんですね。
私も死ぬのは面倒くさくなってきました(笑) や~めた!
by お散歩爺 (2006-04-04 21:11) 

sei-blog

とりあえず私の業界では(ご利用者様がターミナル期もしくは
身体状況の急変の可能性のある方は) 主治医による居宅療養管理指導で月2~4回程度の往診を お願いしております。
また、訪問看護ステーションの緊急時加算付きの訪問看護も。
(加算の場合は夜間でも携帯等で連絡がつきます)
で、万が一まだ温かいけれどももしかしてこの状態って・・・時は
夜でも主治医へまずご連絡していただく事も年に数回あります。

健康な方の急死では 本当に「支度」「覚悟」って出来ませんが、
リスクがある方への対応は 事前にある程度プロの経験で
備える事は可能ですよ。
もちろんそれだけ備えても 《単身者の元へ朝、ヘルパーが行ったら・・・》の
突然の場合もあり万全ではありませんが。
by sei-blog (2006-04-04 23:01) 

パキちゃん

>旅爺さん  nice!&コメントをありがとうございます
(自分が知らなかったからという訳ではないですが)
大事なことの割りには、意外に知られていないのでは?と感じました。
私の両親も高齢になって来ましたので、気になるお話でした;
いろいろ感情的な問題を含むので難しいかも知れませんが、
お仕事で対処なさる人達には、亡くなった方の「尊厳」を守る、遺族感情に配慮する、
など「人」として当たり前のことをふまえて頂ければ、と思いました。
by パキちゃん (2006-04-05 07:51) 

パキちゃん

>seiさん  
具体的にお教え頂きまして、ありがとうございます!
私の住む自治体でも、最近はさかんに「ホーム・ドクターをもちましょう」
と呼びかけています。
この頃、高齢者だけの世帯が増えていますよね。(ウチも隣家でも世帯は別ですし;)
近隣に住まう親族や介護サービスの方、往診して下さる医師など
日常生活において、少しでも多くの「見(診)守る機会」をもっていることが
とても大切なのだ、とわかりました。
「プロの経験」による備え、これは確かに必要ですよね。
一般的に肉親だと、「万が一」のことをあまり考えたくない、とのブレーキが
無意識のうちに働いてしまいますから、ついつい先送りに・・・・。

まあいずれにしても「その時」はその時で、
自分が残されるにしても逝くにしても運命のままに、と思っていましたが、
今回のおば様とご近所の方のお話、そして皆様に頂いたコメントから、
ちょっと変わりました。考え方が。
by パキちゃん (2006-04-05 08:58) 

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